見下されていると感じたら

人は何度も失敗することがあろう。
しかしそれを他人のせいにしはじめるまでは、落伍者ではない。

~ ジョン・バーラウズ(エッセイスト) ~

人生は、それぞれ個人のものとわかっているのに。
人と比べるべきものではないとわかっているのに。

それなのに、ふとした瞬間に、周りと比べて悩んだりする人は、意外と多いのかもしれません。

「平凡で普通なことが良い人生」という考えを否定するつもりはないのですが、その「平凡で普通なこと」をもう一度考えてみましょう。

大多数の人が持つ世間一般のイメージとしては、卒業して、会社に入って(正社員)、結婚して、子供をもうけて、家を建てて、車を買って、毎年旅行して……と、こんな感じでしょうか?

確かに、少し前までなら、何の疑問も持たない「大人の生活」だと思いますが、今は違います。
例えば、正社員になるのにも、競争率が高くて大変な時代になっているのです。

結婚にしても、子供にしても、マイホームや車の購入にしても、思うようにならないことも多々あります。

時代は常に変化していくものです。
昔は「平凡で普通なこと」だったものが、今は誰もが簡単に手に入れられるものではなくなりました。
決して平凡でもなければ普通でもない世の中になったのです。

もし、あなたが「見下されている」と感じているのならば、その見下した人は、どれだけの間柄なのかを考えてみましょう。

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あなたの生い立ちや性格、趣味や家庭環境や友人関係など、全てを知った上で発した言葉なのでしょうか?

自分のすべてを知りもしないのに、知った風に見下してくる人は、所詮それだけの器しかないのです。
相手にするだけ時間の無駄、と割り切ることも大切です。

「見下した相手を見返してやる」という決意の元、頑張る人もいるでしょうが、論点がずれています

「見返す」という行為は、あくまでも他人が主体
どれだけ頑張っても、鼻で笑われたらどうしますか?
世間がどれだけ認めていたとしても、相手が認めなければスッキリしない気がしませんか?

そんな周りの評価を気にするよりも、自分の今の状態をきちんと把握して、解決するために何が必要かを考えましょう。

誰かのせいにすれば、その時の気持ちは楽になるでしょう。
責任が他にあると考えれば、むしろ被害者の気持ちになり、自分はなんてかわいそうだと思うことでしょう。

しかし、自分が行動した以上は、すべて自分の責任なのです。
いくら周りが「大変だったわね、仕方ないわね」と言っていたとしても、そのツケを払うのは自分自身です。

それならば、誰のせいにするでもなく、自分のために真っ向から変える努力をした方が、無駄に時間を過ごすこともないし、早く幸せになれます

腹が立つこともわかります。納得できないこともわかります。
しかしながら、それでも人生は続いていくのです。
それならば、一秒でも早く気持ちを切り替えて、未来のために出来ることから始めましょう。

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