人間は善良であればあるほど、他人の良さをみとめる。
だがおろかで意地わるであればあるほど、他人の欠点を探す。
~ トルストイ(作家) ~
人間の器の大きさというものは、一体、どこで推し量れるのでしょうか。
あなたが思う、器が大きい人物を思い出してみてください。
器が大きい人物というのは、心が広く何人をも受け入れる度量を持ち、それでいて責任をしっかりと取る。
大体、こういうイメージなのではないでしょうか?
人を受け入れるということは、その人を認めるということです。
何も、自分より上の立場の人や、技術で勝っている人しか認められないわけではありません。
「負けを認める」という言葉もありますが、それ以外でも人を認めることが出来るのです。
人にはそれぞれ、その人が持っている「良さ」があります。
その「良さ」を見つけることが、自然と人を認めることになるのです。
ですが、中には、決して人を認めようとしない人もいます。
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常にだれかのあらを探し、欠点を探し続け、何かを見つけると嬉々として他人に広めようとする人です。
なぜ、そこまで人の事が気になるのでしょうか?
そもそも、他の誰かがミスをし、それを嬉々として報告したからと言って、一体なんの意味があるのでしょう。
自分の評価が上がるわけでもないし、ミスした人の評価が下がるとも限りません。
そんなことに時間を費やすこと自体、もったいないと思います。
ひとえに、他人の悪口を好む人は、表面上はどうふるまっていたとしても、自分に自信がない人です。
そして、他人が気になって気になってどうしようもない寂しがり屋の人なのかもしれません。
そこまで人が恋しいと思えるのは、ある意味その人の「良さ」です。
どうせなら、欠点ではなく「良さ」を見つけるように心がけてみたらいかがでしょうか?
長所と短所は紙一重。
人に興味のある人は、人の「良さ」を探すようにしてみましょう。
他人を素直に認められるようになると、世界はかなり広がります。
そして、おのずとあなた自身も認められるようになっていくのです。