悲しみの後に来るもの

美しいバラは棘の上に開く。悲しみのあとには必ず喜びがある。

~ ウィリアム・スミス(イギリスの地質学者) ~

悲しみという感情は、実に色々なことを考えるきっかけを与えてくれます。

もし今、自分の中に悲しみという感情がある人は、ゆっくりで構いませんので、その心に向き合ってみてください。

喜怒哀楽の感情の中で、一番複雑な感情でもあるのが悲しみです。
それは、悲しみという感情の側面にあるものが必ず存在するからです。

例えば、大切な人を失う悲しみがあったとします。

食事ものどを通らなくなり、涙もとめどなくあふれ、もしかしたら後悔などの気持ちに押しつぶされそうになるかもしれません。

それだけ、あなたにとって大切な人だったという証拠です。

自分以外の人を、そこまで大切に思えるという経験は、何ものにも代えがたいものです。
まずは、その人に出会えたことに改めて感謝をし、そこまで人を愛することができた自分を褒めてあげましょう

あなたが相手を大切に思うように、きっと相手もあなたのことを大切に思っていたはずです。

でも悲しさだけで心がいっぱいの状態で、ずっとその悲しみの底に沈んでいては、心身ともに限界が来てしまいます。

「もう二度と会えない」「もう笑顔も見られない」「もう触れることもできない」

その現実を実感する度に、何度でも悲しみという感情は沸き起こります。
この感情を解決するのには、時間しかありません。
平等に流れていく時間だけが、ゆっくりと心の喪失感を癒していくのです。

失ったものの大きさに気づくほどに、まるで身を切られるような痛さを感じたり、もう消えてなくなりたいと思う時だってあります。

悲しみという感情は、喜怒哀楽の中で唯一「生死にかかわること」さえある感情だからです。

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でも、あなたはその大切な人と出会って、悲しみという感情だけでしたか?

今の悲しみという感情以上に、嬉しさや楽しい時間がもっともっとあったはずです。
楽しい時間を思い出すと辛くなるかもしれません。

無理に思い出す必要はありませんが、あなたが悲しみにだけとらわれて全てを悪い方向に考えてしまうと、その大切な思い出すら否定してしまうのです。

「もう二度とあんなに楽しい時間は帰ってこない。残りの人生は無意味だ」
「こんなに悲しい思いをするくらいなら、二度と大切な人を作りたくない」

果たして、本当にそうでしょうか?

人間であれ動物であれ、生きとし生けるものにとって平等に「死」は訪れます。
別れのときに来る「悲しみ」という感情が怖いからと言って、それよりもはるかに多く感じるはずの「楽しさ」や「喜び」などの感情を放棄してしまうのは、果たして本当に幸せなのでしょうか?

傷つきたくないという気持ちは誰にでもあります。

でも、傷つくのを恐れるあまり、人と接することすら怖くなるのは、本末転倒だと思います。
どんなに孤独で生きようと思っていても、あなたの生活は多くの人の手によって成り立っているのです。

悲しみの最中に耳に残った音楽も、無理やり食べた食事も、すべて誰かの想いの賜物です。
誰かの心に触れることによって、悲しみがふっと和らぐことがあるのです。

それは、そこに「優しさ」などの想いが隠されているからです。

失ったものの存在が大きければ大きいほど、そのショックは計り知れません。
でも、だからこそ、小さな光を見つけられるようになるのです。

心をすべて閉ざしてしまうと、せっかくの光を見つけられません

無理に忘れる必要は全然ありません。
ただ、光が差し込んできたときは、その光を消そうとしないでください。

あなたの人生は、どんなことが起ころうとあなたのものです。
どんなに悲しい出来事があったとしても、あなたが責任を持って生きなければいけません。

傷つくことを恐れて殻に閉じこもってしまうと、素晴らしいことが訪れても気づくことすらできないのです。
大丈夫、傷は時間が解決してくれます。
怖がらずに、自分を信じて、悲しみに向き合いましょう。