人が旅をするのは到着するためではなく旅をするためである。
~ ゲーテ(文学者) ~
旅の目的の一つとして、目的地に到着することが挙げられると思いますが、それだけが目的ではありません。
目的地に着くまでの移動時間や通り過ぎる風景、ふと目に入った場所への立ち寄りなど、到着する以外にも旅の醍醐味はたくさんあります。
この「旅」という言葉を、「生きる」に変えてみましょう。
生きている以上、誰にでも平等に訪れる「死」というもの。
終焉こそが人生の到着点だからと言って、みんな「死」のために生きているかというと、そうではありません。
誰でも一度くらいは「なぜ生きているのだろうか」と考えたことがあることでしょう。
その考えが浮かぶときは、決まって心が苦しいときです。
失敗・挫折・絶望・悲哀・孤独などの感情に支配されると、「生きている意味」がわからなくなってしまうのです。
「生きている」ことに意味を求めようとすると、大体がその意味を見つけられず、負の感情を強めてしまいます。
その結果、「自分の存在が無くてもいいんじゃないか」と考えてしまう人も出てきてしまうのです。
人生はとてもシンプルです。
「生きていく」ことに、理由なんて必要ありません。
理由がない以上、どれだけ答えを探したとしても見つかるはずがないのです。
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よく「自分は誰からも必要とされていない」という言葉を聞きますが、「誰かに必要とされている」ということが、本当にあなたが求めている「生きる意味」なのでしょうか?
誰かから必要とされることに生きがいを感じる人は、おそらくとても心が広く優しい人です。
でも、それが「生きる意味」としてしまうと、誰かに必要されなくなった途端、生きていく意味がなくなってしまうのです。
自分の人生そのものを、誰かの意志に委ねることを望んでいるのでしょうか?
もし、そう思っている人がいるとしたのなら、それは自分の人生から逃げているだけかもしれません。
誰かに決断をゆだねることは、自分で考える必要がない分、例え理不尽な結果だったとしても心は楽でしょう。
なぜなら、「自分のせいじゃない」という思いが、その根底にあるからです。
でも、それで傷つくのは、他の誰でもない自分自身だということに早く気がつくべきです。
自分の人生じゃない以上、他人は好き勝手な理想を押し付けがちです。
そこに、あなたの成長や成功を願う気持ちが、果たしてどのくらい込められているのでしょうか?
本当にあなたのことを思っての言葉であれば、軽はずみなことは決して言えません。
まして、今後の人生を左右するくらいの決断であれば、なおさら、あなた自身に決めさせようとするでしょう。
自分の人生の責任は、自分が背負うべきものなのですから。
「生きている意味」をいくら探したとしても、答えは見つかりません。
あなたが探すべきものは「生きる意味」ではなく、「生きがい」だということに気がつくべきです。