発見の最大の障害は無知ではない。知っていると勘違いすることである。
~ ダニエル・J・ボースティン ~
人間は、本当に数多くの「当たり前」という事象を目の当たりにしています。
しかし、本当に真の意味まで理解している事柄はいくつあるでしょうか?
例えば、雨が降るという事象についても、なぜ雨雲が発生するのか、なぜ梅雨が発生するのか、なぜ雪が降る地域と振らない地域があるのかなど、全てを理解している人は、ごく一部だけでしょう。
世紀の発見というものも、まさにこの「当たり前」という事象の中から見つけ出されたものです。
私たちが生活する上で、目に見える部分・目に見えない部分も含めて、さまざまな事柄が同時に起こっています。
そのひとつひとつに意識を向けることは、到底不可能です。
でも、だからと言って、それを「当たり前」として見過ごしてはいけません。
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自分の人生に何も真新しい事はないと断言している人は、全てを「知っている」と勘違いしているだけです。
本当に、あなたは自分の周りで起きていることを、全て知っているのでしょうか?
もしかしたら「知っている」と勘違いしているだけではないでしょうか?
対人関係でも、何か他の物事に関しても、本当に全てを知り得る人はほんのわずかです。
気を付けなければいけないのは、「知っている」という思いがあると、その事柄を先入観という眼鏡越しに見てしまうことです。
「これが好きだったはず」「これで喜ぶはず」「これは嫌いなはず」「これだと怒るはず」
どの言葉も、はっきり言ってしまえば単なる思い込みです。
例え前に好きであったものでも、人間の心は変わるもの。
もう興味が無くなっていたり、嫌いになっている可能性だってあります。
知っていると慢心していることで、本質が見えなくなってしまうのです。
発見を邪魔するものは、無知ではありません。無知なら学べばいいだけです。
本当に気を付けなければいけないのは、知っているという名の「思い込み」です。
事態は常に動いていて、人の心も変わっていきます。固定観念を持たないようにしましょう。