風のないところでは、何も動かない。熱意のないところに、価値は生まれない。
~ シャンティデーヴァ(宗教家) ~
自分の心の中に、燃え盛る炎のような熱意を持っている人は、果たしてどのくらいいるのでしょうか?
子供のころと違い、守るべきもの、やらなければいけないことが増え、責任と誇りと諦めにも似た感情を持ちながら、日々を過ごしている人も少なくないでしょう。
人生で一度でも何かに熱中したことがある人は、その当時を振り返る度に懐かしさを募らせ、それと同時に、あの頃のようにはなれないと思うことがあるかもしれません。
勉強でも、遊びでも、部活でも、恋愛でも、仕事でも、趣味でも、一生懸命がんばった自分のかけがえのない歴史。
あのころの感情は、もう二度と手の届かない場所にあるように感じるかもしれません。
ですが、あなたの人生は、まだまだ続いています。
当時の思い出だけを胸に秘めて生きていけるほど、人間は単純ではありません。
ただ与えられたことだけをそつなくこなし、一日を何とかやり過ごしている状態は、知らず知らずのうちに心から熱を奪っていくのです。
「四六時中、いついかなる時も、熱意を持って行動せよ」とは言いません。
ただ、あなたが前に経験した熱意は、望めばすぐそこにあることを忘れてはいけません。
年を重ねるほどに、「今更」「恥ずかしい」「いい年をした大人が」という言葉を盾にして、小さな心の中の火を消してしまいがちです。
周りの目を気にするあまり、自分が本来やりたいことをやらずにいたとして、後悔はしないのでしょうか?
人間が、自分以外の人間に対して思う評価は、非常にシンプルです。
成功すれば「尊敬」、失敗すれば「嘲笑」、ただそれだけです。
そこに、あなたの人生まで重ねて考えてくれる人は、ほんのわずかな人だけです。
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成功するか否かで評価をがらりと変えるような周りの目を、なぜ気にしなければいけないのでしょうか。
それよりも、自分がやりたいと思ったことにチャレンジし、自分の事を考えてくれる人を大切にすることが大事なのではないでしょうか。
確かに、静かで落ち着きがあり、教養もあって人を惹きつける老年は、誰もが目指すところだと思います。
でも、その人が「熱意を持っていないのか?」と言われれば、そうではありません。
年老いてもなお人を惹きつけるということは、自分の心の中にしっかりとした熱意を持ち、自分の人生をしっかりと生きているという自負があるからです。
人が惹きつけられる瞬間は色々とありますが、一番わかりやすいのは、熱意をもって何かに集中している姿です。
老若男女を問わず、ひたむきに努力を続ける姿を見れば、応援したくなると共に、自分の身も引き締まるからです。
人は、無意識のうちに、熱意を求めています。
どれだけ冷めた人間でも、ひたむきな熱意には心が惹かれてしまうのです。
熱意のあるところに、価値が生まれてくるのですから。
自分の中の熱意は誰かに勇気を与え、同じように、誰かの熱意が自分に勇気を与えてくれるのです。
熱意を持って行動することで得ることは多々あります。批判を恐れず、信念を貫き行動しましょう。