自分の領分だけに目を限れ。
~ ビーチー(イギリスの航海者)~
人は不思議なもので、なぜか、自分のことよりも、他人のことの方がよく気が付きます。
それは、自分のことじゃない分、客観的に判断することができるからです。
どうしても、自分のいろいろな事情や心情がわかる分、意識しない限り、客観的に判断することは難しいもの。
だからこそ、自分のことを本当に客観的に判断しているかどうかを、確認する必要があるのです。
これは、どの分野にも相当するもので、仕事でも人間関係でも育児などにも当てはまります。
例えば、子供に「片付けなさい」と言う時に、自分はきちんと片づけられているでしょうか。
忙しい毎日であれば、掃除や片付けがままならない日があって当然です。
ですが、子供はそんな親の心情を慮る子ばかりではありません。
私の物ばかりじゃなくて、他の物も散らかってるのに。
私も片づけてないけれど、自分だって片付けてないのに。
相手を非難するのであれば、まずは自分の領分をしっかりとわきまえたうえで言わなければなりません。
自分のことを棚に上げて、相手の非を責めてばかりでは、信頼関係が崩れてしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。
あなたはあなたの領分、子供は子供の領分を決めて管理させるのです。
もちろん幼児には難しいので、ある程度、話が理解できるようになる年齢であることは大前提ですが。
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あなたは、あなたの領分をしっかり管理することに集中すること。
子供は、もやもやハラハラするかもしれませんが、ある程度は見守るつもりで。
子供が片づけないのは、片づける必要性を感じていないから。
つまり、片づけないと大変なことになることを、想像できないから散らかすのです。
(もちろん、性質的に向かない人もいますが、ここでは割愛します)
本人にいくら話しても理解しないのなら、そこは経験をもって理解してもらうしかありません。
ただ、心配であるのなら、学校のプリントなど学校生活に関するものは、片づける場所を確認しておきましょう。
事態を想像して動ける人。
実際に経験して動ける人。
どちらがいい、どちらが悪い、ではなく、それぞれの本質の問題なのです。
想像して動けるのなら、経験は必要最低限でいい。
経験して動けるのなら、説明は必要最低限でいい。
一番大切な目的は、自らの意思をもって、自分の領分を管理できるようになること。
子供はいつまでも子供のままではありません。
傷つき思い悩む日も経て、大人にならなければいけないのです。
自分の意志で、自分の領分をそれぞれ管理できるようになれば、対等な関係になり話し合いができるようになるでしょう。