嘘つきの受ける罰は、ひとが信じてくれないというだけのことではなく、ほかの誰をも信じられなくなる、ということである。
~ ジョージ・バーナード・ショー(劇作家) ~
今まで生きてきた中で、一度も嘘をついたことがないという人はどのくらいいるでしょうか?
こんな問いかけをしてしまうくらい、嘘というものはいろいろな形で身の回りにあふれています。
こう書いてしまうと、絶望の世の中を見ているという感じにとらえられがちですが、私個人の見解としては、嘘というものがすべて悪とは思っていません。
なぜなら、嘘はそれを用いる人やタイミングや心によって、存在が変わるからです。
良い嘘と悪い嘘。
良い嘘というのは、相手を思いやる優しさから発せられるものが多いでしょう。
騙すという心ではなく、勇気づけたり励ましたりするときに用いる嘘は、ばれたとしてもどちらも傷つきません。
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それは、相手を思う気持ちが前提にあるからです。
そして、嘘だと知ったときに、自分を思いやってくれたと相手がわかるからです。
もちろん、信頼関係がきちんと成り立っている上での話ですが。
真実が正しいのはもちろんですが、だからといって、どのタイミングでも告げていいことだとは思えません。
相手の心を守るためにつく嘘は、限りなく思いやりにあふれたものだと思います。
悪い嘘というのは、相手をだましたり陥れたりするものが当てはまるでしょう。
そこにあるのは、どす黒い闇。相手を傷つけたり困らせたりするための嘘は、お互いを破滅へと導きます。
詐欺とかそういうものが典型ですね。
自己保身のための嘘も、悪い嘘になります。
自己保身のために嘘を重ねると、驚くほど人は離れていきます。
分相応の振る舞いは、誰のためでもなく、自分のためです。
人をだます嘘をつき続けた人は、他人を信じられません。
自己保身のために嘘をつき続けた人は、いつばれるかもしれない恐怖が常に付きまといます。
嘘というものは、なるべくなら使わないのが一番です。
しかしながら、真実だけが全ての世の中になってしまうと、想像以上にギスギスしてしまうのもまた事実です。
どうせつくなら、良い嘘をつきましょう。決して、悪い嘘をついてはいけません。