辛いことがあった人に同情することはあっても、決して、同調してはいけない。
〜 名言・格言 言葉の力(管理人)〜
誰かがとても辛い思いをしている時、その人を心配して思いやる気持ちが同情することです。
よく、同情してはいけないという言葉を聞きますが、それは、同情のもう一つの意味である憐れみという言葉の印象によるものだと思います。
憐れむという言葉はどうしても(自分は大丈夫だけど)という言葉があっての感情になるので、上から目線に感じて不快に思われるのでしょう。
ですが、もし、本当に辛い時、あなたはどうしてほしいですか?
一緒に悲しんでもらいたい。
一緒に泣いてもらいたい。
同じ感情を共有したい。
最初は誰もがそう思うことでしょう。
その感情を共有することが、本来の同情するという意味です。
ただ、その次は?
感情を共有して少し落ち着いたとしても、同調するあまり何も動けなくなっては誰も助けられません。
「同情」は感情の共有。
「同調」は同じ立場の共有。
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同情して感情を共有することは大切ですが、同調してしまうと冷静に対処できなくなるでしょう。
誰だって、辛いことが逃れたいのです。
いつまでも逃れられないのは、今を生きているのに、過去にしか意識を向けられないという状態なのです。
それでは、いつまでたっても、誰も救われません。
つまり、同情したなら、次はその現場を変えるための行動をしなければならないのです。
ですが、ただでさえ辛い思いをして心身ともに疲れ果てている人に、その行動を求めるのは酷なことです。
だからこそ、同情はしても同調はせず、現場打破するための道筋を考えて整え、その上で手を差し伸べることが大切なのです。
同情することがよくないという風潮は、人間が本来持っている思いやりや共感という大切な感情を否定することに他なりません。
大切なのは、相手と同じ立場で考えることではなく、相手がその辛さから脱却できることを考えることです。
それは、相手を思いやるからこそできることで、そこに同情の気持ちがあることは至極自然なことなのです。