知らないという口実は、決して責任を消滅させるものではない。
~ ジョン・ラスキン(芸術評論家) ~
何か問題があった時に、よく聞かれる言葉としてあげられるのはいくつかあります。
「自分は悪くない」
「こうなると思わなかった」
「知らなかった」
前の二つに関しては、言えば言うほど自分の価値が落ちていく言い訳だとすぐわかりますが、問題は「知らなかった」という言葉。
「知らなかった」という言葉を使うときは、大体が「じゃあ、仕方ないね」という言葉を期待しています。
そして実際に、「知らなかった」という言葉で様々なことがうやむやにされていることも多いのです。
ここではっきりと断言しておきたいのですが、「知らない」という言葉は免罪符にはなりません。
先ほどの言葉に関しても「知らなかった」だけでは許されることはないのです。
ここでうやむやにしてしまったら、また同じ失敗を繰り返す可能性を残したままになります。
人間とは不思議なもので、こういう事柄は自分が気が付くまで何度でも繰り返される傾向があります。
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だからこそ、きちんとした言葉で起きたことについてちゃんと証明しなくてはいけません。
「知らなかった過失に対する謝罪」
「知った以上この間違いは二度としない決意」
この二つの言葉が必要になります。
知らなかったということは、色々な場面があるとは思いますが自分の過失だと割り切りましょう。
理不尽なときもあるでしょうが、「知る時間がなかった」という証明に時間をかけることはもったいないです。
さらに、それを証明できたからと言って、自分の評価が復活する可能性が低いのも現実です。
それよりは、今起きた問題の原因究明をし、足りない知識を補い、問題解決に動き出す方が評価は上がります。
また、自分が無知の故に問題を起こしてしまったのならば、知っていたら避けられたかどうかを考えましょう。
事柄についての真実を知っていたとしても、もしかしたら同じ問題を起こした可能性は否定できないのです。
知っていたら避けられたのであれば、次からは二度としないことをきちんと伝えるべきです。
そうでなければ、あなたの「知らなかった」は単なる言い訳となり、相手には酷く白けた感じで伝わるでしょう。
知らないということを免罪符にすることは、自分の価値を下げてしまうというリスクを負うということです。
つい使ってしまいがちですが、安易に使わないように心がけましょう。