他人の経験は自分の経験にはならない

とにかくやってみろ。やってみてから文句を言え。やりもしないで本から読んだり、人から聞いて、そうなりますと、わかったような事を言うな。

〜 小林大祐(富士通社長)〜

今は、どこにいてもどんな情報でも手に入れられるようになりました。
ほんの二十数年前からは考えられないくらいの進歩で、そして、いつのまにか人々はその世界に順応しているのです。

情報化社会は、様々な恩恵をもたらしてくれました。

あなたの手元にあるスマホやパソコンから繋がる世界は、まだ見ぬ人、まだ知らない知識、そして、膨大な情報量をもってサポートしてくれます。

玉石混合の世界とは言え、幅広い知識を網羅した優秀な秘書を常に抱えているようなもの。

わからなければ検索する。
ただそれだけで、時に的確な、そして時には的外れかもしれませんが、何かの答えは見つかります。

そんな世の中にいつしか慣れきってしまって、多くの人が経験するということを二の次三の次にしているような気がしてなりません。

その弊害とも言えるのが、極度の合理化思想なのではないかと思うのです。

とにかく、失敗しないように、損をしないように、無駄の無いようすることばかりに気を取られ、その先にあるかもしれない可能性をまるごと放棄しているのです。

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仮に、それで失敗もなく無駄もない効率的な人生を送ったとしましょう。

しかし、それは本当にあなたがやりたかったことなのでしょうか?
効率的で無駄のない人生のために、それ以外のすべてを諦めても後悔はないのでしょうか?

私はネット否定論者ではありません。
実際、ものすごく便利なものですし、生活に欠かせないほどの一部となっています。
そして、この先どんなことがあろうとも、ネットが廃れることはもうないとも思っています。

しかしながら、その便利さ、手軽さ故に、使い方を間違ってはいけないという危機感は常に持っています。

例えるとするならば、それは、刃物を扱う時や車を運転するときと同じように、細心の注意を払う必要性があると考えています。

仮に、誰かが何かをやって、その誰かが失敗した経験談を読んだからと言って、必ずあなたも失敗するとは限りません。

あなたはまだ挑戦すらしてないのです。
もしかしたら、その誰かは失敗したかもしれませんが、あなたは成功するかもしれないのです。

挑戦をおろそかにするということは、経験するチャンスを捨てることと同じです。
経験が成長を促すとともに、新しい世界を見せるのであれば、それを捨てるのは勿体なさすぎます。
他人は他人。あなたはあなた。本当にやりたいことをやりましょう。まず、動きましょう。